落合 博満(おちあい ひろみつ、1953年12月9日 - )は、秋田県南秋田郡潟西村(現・男鹿市)出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)・監督、野球解説者。血液型はO型。 選手時代は1979年から1998年にかけてロッテオリオンズ・中日ドラゴンズ・読売ジャイアンツ(巨人)・日本ハムファイターズの 137キロバイト (20,313 語) - 2022年1月9日 (日) 08:49 |
落合が日ハムに移籍した時、
「大社オーナーと上田監督から数字だけでなくチームにいい影響を与えて欲しい
そのために君が必要だ」と言われていた
チームの精神的な支柱になることを見込まれての獲得だったと思う
その割に引退試合では誰ひとりとして彼を拍手などで迎え入れなかったようだし
チームに溶け込んでいたとは思えないんだが
日本ハム・落合博満はなぜ失敗したのか
当時をしる人教えて
2年契約でやる気がなかった
44、45歳の年齢
野口死球からの手首の故障
投手を覚えるのに時間がかかった
広瀬ら生え抜きと険悪
そもそも落合は実力以外の部分での人望は元々そんなに無いんだと思う
監督時代も勝ってるから正当化されてたのかも
GM時代の諸々とかが落合の人間部分では
日ハム時代は結果で正当化できなくなっただけのような
落合自身はあのような結果になったけど上田・小笠原・奈良原にとっては大成功って言ってもいい。
落合は引退宣言をした上での引退試合をしていない。
日ハム側は引退試合を用意するつもりだったが、落合がこれを固辞。
「プロだから自分を必要とするところがあれば行く」と自由契約を選び、日ハムを退団。
しかし、春キャンプがそろそろ終わろうかという時期になってもオファーがなかったので引退を決意。
結果的に、日ハム時代最後の出場試合が引退試合となった。
そんな感じだから、最後の出場のときもみんないつもの対応しかしていない。
もし引退宣言しての最後の出場だったら、花束くらい用意するだろうし、引退会見もあっただろう。
>>5
これが事実な。
上田監督はスタメンをすすめたが拒否したと。
編集では「代打で始まった野球人生、最後も代打で終わりたい」なんてことになってるが、あれは後付け。
スタメンをすすめたのも引退だから、ではなくて、日ハム選手としての最後の試合だったから、というのが正しい。
上田監督が他の選手にも言ってたらしい。
「落合はまだ次のオファーを待ってる段階だから引退じゃない。普通に接してやってくれ」と。
>>8
どっこい事実じゃない
落合は本人が望めば契約延長できる契約があった
【背番号3】 日本ハム時代の落合博満について
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1402689764/
重複
大体44になる親父が活躍すると思う方がおかしい
でもあれだな。
ホームランが激減したり、チームが優勝争いしてるのにスタメンで使われなかったり、引退宣言をしたのかしてないのかよくわからなかったり。
巨人に残ってたらどうだったのか?
野口のデッドボールがなかったらどうだったのか?
などなど、いろいろ想像をかきたててくれるくらい謎が多いのはドラゴンボールのコルド大王と同じだな。
フリーザよりも強いのか?
あの姿から変身をするのか?
変身していたらトランクスに勝てたのか?
などなど。
コルドは常時第二形態
大社オーナーも上田監督も打者落合にそんな期待してなかっただろう
どう考えても「チームリーダー」とか「若手の育成」を期待したんだろうと思う
まさか44歳に「3割30本打て」とは言わないでしょう
中堅選手たちが総スカンだった理由はイマイチ解せないね
次期監督だった可能性もあったのに
>>12
あの成績で3億もらってリーダーシップもやる気も見せなかったらそうなるわな
>>12
前(現?)キャプテンの広瀬が落合加入の煽りを食ってレギュラーからベンチ要因に降格
同じく97年に出番がなくなって自由契約になった金石共々批判
単なる出番が無くなった連中の不満だっただけなんだが
上田監督自身も前年に家族問題からの職場放棄という負い目を背負ってるだけに
押さえ込めなかった
98年にハムが大逆転V逸くらって
落合への批判がさらに増した感
古巣のパリーグに戻れば活躍できるみたいな論調もあったが
セリーグ以上に速球派揃いで40過ぎたオッサンには酷だわな
上田監督は.250、20本ぐらいは打つと思ったんだろうけど
当時のパ・リーグはセに比べて低レベルじゃね?
4番外されたぐらいでヘソ曲げるような人間は「手本」にはならないわ
当時セ投手よりパ投手の方がレベル低かったと思うが
速球派揃いだったか?
あと、野口の死球が星野の指示だったってのはどのくらい信憑性高い?
>>20
星野の司令だったとは誰も言ってないよ。
落合自身は
「1塁が空いてたから、ぶつけてくることも念頭に置いていた。
念頭に置いていたけど避けきれなかった。昔はよけれたけどこれも年齢なのかな」と回顧してたけど。
似たのが92年の岡田彰信か
ひさびさの暗黒確変優勝を老齢でパーにするわ代打亀山にカメラの前で露骨に不快な顔するわ
広瀬ごときが生意気だわ
チームの士気を上げるためにわざわざへッドスライディングをする広瀬に、
怪我するから止めとけ と真っ当な忠告をする落合
どちらが正しいのやら
>>23
広瀬って落合の自著で「彼が若い選手と自分を埋めてくれた」って言ってるし
そんな仲悪くないんじゃないかと思うけど
97オフの日テレの珍プレーで普通に共演してたな広瀬と落合
広瀬が落合の悪口いうと落合が裏から出てくるっていうありがちな演出だった
広瀬が女子野球の監督やってた時、落合を呼んで指導してもらってるしな
少なくとも引退後においては険悪という事実はない
引退後のテレ朝の解説で思い切りかぶってるしな
広瀬落合
片岡と田中幸雄と金子って落合のエピソード語ったことあるのかな
広瀬はなんで2006のシリーズ解説に呼ばれなかったのか謎
投手覚えて打つタイプだから年取ってリーグ変わるのは辛かったろうな
日ハムを選んだり理由が
「年俸」
「2年契約プラス本人が望めば契約延長」
「日本ハムは会社が迎えに来てくれて、オーナーから監督まで総出だった」
「ヤクルトはノムさんが乗り気だっただけ」
だったかな
パリーグ移籍については
「球場が広くなると打ち方がよくなるから問題ない」
「1年目より2年目の方が結果残せるのは確かだが、相手投手も初対戦だから問題」
だったと思う
結末は(略
2年契約6億円を選んだけど1年3億円のヤクルトに行ってたら
慣れてるセリーグでそこそこの成績を残してもう1年やれたんじゃない?
日ハムじゃ完全に疫病神扱いだったし
広瀬と落合は仲良しだぞ。
広瀬の講演会でもよく日ハム時代の落合との話は出てくるし。
それを聞いてるとチーム内がガタガタだったというのも誰かのでっち上げに思える。
落合塾みたいなのも二年間ずっと開いてたらしいし。
・金石の話
・3億円に対する若手・中堅の不平不満
(これはニュアンスが不明。本気で腹たったのか、「自分も頑張って落合さんみたいになる」という意味だったのか不明)
・引退試合で選手からの拍手や出迎えなし
(今から考えるとおかしいが当時の慣習では普通?)
これらが「日ハム落合=孤立」説を生む原因だと思う
↑
日ハムから去るということは宣言してるけど、引退とは言ってない。
しばらく経った後のニュースステーション出演でも「引退はしません。ただ、今はオファーがないだけ。オファーがあれば行きますよ。だから引退はしません。」
落合を嫌ってるのはGMまでプレーしてきた中日の選手が多いんだよな、というか殆どそこで監督か高木になる時に離れていた人間はさほど嫌ってない
巨人の当時も然り
だがGMは名前が権威になりそれが動くから井端と清原が落合の立場をズタズタにするには十分な存在だった
前者で反金満と広め、後者で権威を切り裂いてやる前からGMとしての失敗は決まった。
1997年落合
打率.262 3本 43打点 OPS.680
規定打席に到達して3本43打点とか
改めて見てもやばい成績w
>>39
夏前までは3割狙えるところにはいた。
4割は程遠いが、この年は途中から打率でいこう、と決めてたんだろうが、小さくまとまりすぎてしまい打率も落としてしまった。
そんな感じだな。
>>39
ウィルソンとブルックスが落合の打撃指導で
戦力になった
大阪ドーム初年度やパリーグのスタジアムの
広さが落合の予想以上だった
それでも3本塁打は寂しい
最後くらいホームラン捨てて4割狙えなかったものか
金石の話なんてまともに取り合う必要ないんだけどな
解説聞いててもいい加減なことしか言わない
野口のデッドボールがなかったら
ヤクルト行ってれば
この2点に尽きる。
96年の復活っぷりがあまりにもすごかったからな。
いろいろ想像したくなる。
中日監督でできなかった打撃の育成ができていたのがハム時代
ウィルソン、ブルックスは本当に落合を慕ってた。
西浦も落合のアドバイスがなくなった途端に散ったしな。
現役選手が「慕われてた」とか「指導した」とかで持ち上げられるエピソードが出たら終わりだな
いやこいつが勝手に作り上げたネタ
小笠原とか(落合が)わしが育てた扱いだけど実際のところはどうなんだろうか
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